一番つまらない話。

ゲームの感想書いたり見た夢を書いたり思ったことを書いてみたり。

最初のゲームとゲームボーイの思い出話。

 はじめてゲームというものを感じたのは本屋さんでだった。わたしはゲームをやらないが、ゲームの攻略本が大好きな子供だった。
 当時の攻略本、なかなかバラエティ豊かで面白かったのですよ。攻略というか設定資料では? みたいなものとか公式か攻略本の編集部が考えたのかようわからんものとかわりとあった。
 特に好きだったのはヨッシーアイランドの攻略本とドンキー2の攻略本だった。ステージが横長で載っているやつ。
 ドンキー2の攻略本は凝っていて、中身がほぼ全て手書きのイラストだった。ステージとかも手書き。あれ地味にすごかったな。今でも家にあるとおもう。
 母に攻略本を買ってもらって何度も何度も読んでいた。ただ読み物として攻略本が好きだった。ゲームは興味ないの? と聞かれて、うん、興味ない。本の方がいい。と返す子供だった。

 そんなわたしが出会ってしまった。ゲームに。冗談抜きで人生を変えたゲーム。
 ゲームをやらないわたしと対照的に、わたしの従兄弟はゲームがめちゃくちゃ好きだった。あまりに好きで大人になってからデバッカーになったくらいだ(後に辞めてニートになっているらしい。何年も会ってないのでようわからん)
 ともかくある日祖母の家で。同じく遊びに来ていた従兄弟がテレビゲームをやっていた。
 時代はスーパーファミコンプレイステーションという名機が跋扈し、神ゲークソゲーももりもり生まれていた時である。
 
 従兄弟がやっていたのがカービィスーパーデラックスだった。


 人生が変わった。本気で。

 

 スーパーファミコンにはコントローラーが二つあり、カービィスーパーデラックス(SDXと書く)は、カービィとヘルパーというカービィを手伝うキャラクターで二人プレイができた。
 従兄弟は脇で見ていたわたしにコントローラーを握らせ、2P側をやらせてくれた。
 はじめてさわったスーパーファミコン。それは形容できないほどの体験だった。
 楽しい。とにかく楽しすぎる。
 コントローラーで画面の中のキャラクターを動かすことがこんなに楽しいとは。
 そしてカービィ。ピンクのかわいいキャラクター。
 世界観もなんだかかわいくて、音楽も楽しい。
 わたしはひとめでカービィの虜になった。二日くらいわたしは従兄弟とゲームを楽しみ、そうして帰宅した。カービィの衝撃は抜けなかった。
 寝ても覚めても頭に浮かぶのはカービィである。何故かカービィの攻略本は買ってもらわなかった。ゲームがしたかった。
 脳内であの楽しさを反芻し、どんどんカービィにのめりこんだ。沢山絵を描いた。絵本まで作った。そうして当然のように狂おしく思った。
 
 カービィがやりたい。
 ゲームがやりたい。
 ゲームが欲しい。
 
 どうしてもスーパーファミコンが欲しかったわたしは、当然のように父親にねだった。
何か高価な欲しいものがあるとき、父親に許可をとるのがうちのルールだったので。
 父親は良いとは言わなかった。けちな人では無かったが、子供を無作為に甘やかすひとでもなかったので欲しがるものをホイホイ与えるのはどうかと思ったのだと思う。
 あとわたしが本とお絵描き、人形遊び以外に遊びをしない、他の遊びはすぐ飽きる子供だったので飽きるんじゃないかと思ったんだとも思う。
 
 わたしはなかなか折れない父親に沢山攻撃を仕掛けた。
 カービィの絵を何十枚もコピー用紙に描きまくり、スーパーファミコンが欲しいと文面を添えて家中に貼りまくった。特に父親が座る席回りは貼り紙だらけになった。目に入るところに隙間なく貼った。呪いのチラシのようである。
 今でもそうだがわたしは中々しつこい子供だった。家中の貼り紙は剥がされては増え剥がされては増えとしていた。
 今振り返るとよく母親や祖父母は怒らなかったなと思うが言っても聞かないのを知っていたのかもしれない。あと怒られていたのかもしれないがわたしは全く覚えていない。スーパーファミコンで頭がいっぱいだったので。ついでにわたしは初孫であったので祖父母はわたしに大変甘かった。
 
 貼り紙攻撃から数ヵ月。
 ことあるごとにスーパーファミコンが欲しいと言いまくっていたわたしにサンタクロースがやってきた。
 今でも覚えている。クリスマスの夜に仕事から帰って来た父と祖父はわたしに包みをくれた。今、そこでサンタクロースに会ったんだ、プレゼントを預かった。と言う父親に驚き、わたしは包みを貰った。
 正直に言うと寝ている間に枕元に置かれるというワクワク感が好きだったので、起きてるときにくれなくても……枕元に置いて欲しかった……。とちょっとガッカリしたくらいだった。でも包み紙を開けて、わたしは飛び上がった。
 中にはゲームボーイポケットが入っていた。赤い色だった。当時は画面が白黒で、緑色の液晶をしていた。そしてソフトがひとつ。
 カービィ2。
 わたしがはじめて手に入れたゲームだ。

 それから猿のようにわたしはゲームに没頭した。
 やりすぎて一日でゲームボーイの電池がなくなったくらいだった。妹に貸したときにちょうど電池が切れて電源がつかなくなったので、わたしは妹が壊したと妹を責めてわんわん泣いたくらいである(妹にはほんとうに悪かったと思っている)
 ともかくカービィ2はものすごく楽しかった。スーパーファミコンカービィSDXとは違うし、カラーでもなかったけれどそんなのどうでもよかった。
 コピー能力があるだけでわたしにはカービィだった。(後に初代カービィを買ってもらったときにコピー能力がないのにびっくりした。でも初代カービィもめちゃくちゃやりまくった。二面の城の音楽が大好きです)なかまたちがかわいくて大好きだった。絵をいっぱい描いた。
 わたしはカービィ2に没頭した。あまりにわたしが没頭しているのでゲームなどやらない母もちょっと触っていたくらいだった。
 わたしは母と自分のために手作りでカービィ2の攻略本まで作った。ステージを手書きで書き写し、出てくる敵をメモした。
 他にも何かあるたびにゲームを買ってもらった。初代カービィカービィのピンボールカービィのブロックボール……カービィ好きだったんだよほんとうに。
 初代ポケモンもやった。わたしは緑で、相棒はフシギダネだった。さいしょのわたしの相棒よ。今でもなんとなく思い入れがある(ちなみに推しポケはダルマッカたんです)
 ポケモンは車でダイクマ(当時あったホームセンター)に行き、ゲームコーナーを見ていたら父親がやってきて、「今これが流行ってるらしいな、要るか?」と言いながら突然買ってくれた。
 ゲームならなんでもよかったわたしはゲームを買ってくれるならとこくこくこくと頷き、そこからどはまりして友達と通信ケーブルでバグ技でレベル100にしたポケモンやらバグ技で作られたミュウやらを交換しまくった(ちなみにバグによりすべてのデータはきれいに消えた。ずるはよくない)
 ポケモンすごかったね。男女関係なくポケモンポケモンポケモンポケモンさえあればみんな友達だった。知らない子と友人のマンションの駐車場で皆でしゃがみこんでポケモンをやった。普段話さない男の子にライチュウをバグ技でレベル100にしてもらった。
 バグ技はすごく流行った。サントアンヌ号の横で波乗りすると謎の空間に行けて二度と戻れないとか、タマムシシティの脇からアイスピラミッド(誰が名付けたのか知らんがわたしの地元では皆そう言っていた)という変な草むらしかないダンジョン的なところにいけて、そこでバグったミュウツーが捕まえられるとかいう都市伝説もたくさん聞いた。

 みんなバグ技好きだったね。当時インターネットなどそんなに発達していなかったのに、何故か同級生はみんな同じ事を知っていた。駐車場で会った知らない子も知っていた。みんなポケモンが大好きで、噂が噂を呼んで膨れ上がっていった。存在するのかしないのかわからない都市伝説を話し、バグ技を教え合い、真っ当にポケモンを交換して対戦するのはそれはもう楽しかった。図鑑埋めに協力してもらったり、協力したり。
 みんなやったよね、シオンタウンの名前バグ、上から七番目、けつばん……。
 
 そのうち、親戚のお姉さんがもう大きくなり遊ばなくなった初代のおおきなゲームボーイと、ゲームボーイのゲームをたくさんくれた。ゲームソフトが突然ものすごく増えて嬉しかった。袋にいっぱい、ほんとに沢山もらった。
 マリオと出会ったのもそこで、6つの金貨とスーパーマリオランドがわたしの初マリオだった。6つの金貨、昔のわたしには難しくて中央のお城がどうしてもクリアできなかった。バニーマリオと、マリオドールみたいなステージが好きだった。マリオランドは米粒みたいなマリオがステージを進む。あのクリボー、ちまっとしていてかわいかったな。でも難しかった。ボスが宇宙人みたいなやつで、全然倒せなかった。
 ドクターマリオもかなりやった。あれはむずかしい。
 ゼルダを知ったのもそこからである。夢を見る島が最初だった。あれは今でも大好きなゲームで、かぜのさかなの歌はとても切ない。クリアしたときに大泣きした。
 夢を見る島はSwitchでリメイクも出ているのでよろしくお願いします。かなり忠実で最高でした。何年たってもかぜのさかなの歌は切なくて、夢を見る島はせつない。
 テトリス高橋名人の冒険島、ワニのピンボールゲーム、クレヨンしんちゃんのオラとシロ〜というゲーム、野菜(じゃがいも)とかを操作して進むパズルゲーム、悪名高きちびまる子ちゃんのお小遣いを集めるゲーム……お姉さん色んなゲーム持ってたな。RPG系は全くなくて、アクションやパズルが多かった。
 もう忘れてしまったものも含めて、色々やらせていただいた。

 後にゲーム狂になったわたしを見て、妹もゲームボーイが欲しいと言い出した。
 翌年のサンタクロースが妹に持ってきたのはゲームボーイカラー(黄色)だった。ソフトはポケモンピカチュウピカチュウがあとについて回るすごいゲームだ。
 そしてなにより、ゲームボーイが、カラーに!!!!!!
 
 当然わたしも欲しい欲しい欲しいと頼み込み、妹のゲームボーイカラーを勝手に使用し、仕舞いにゲームボーイカラーのスケルトンを買ってもらった。
 ゲームボーイカラー、めちゃくちゃ長くお世話になりました。持ち運びできるゲーム最強。電池を使いまくった。
 なんか犬猫ウサギげっしるいのみではなくタカとかアルマジロとかいろんな動物をペットとして育てるゲームがあり、ステータスをあげてコンテストみたいなものに出すというゲームだったんだけれども、父親が何故かそれにはまったことがあった。
 多分わたしが寝静まったあとに夜な夜なやっていたのだろう。ある日見て見てと言われて見てみたら、パパタカと名付けられた鷹がオールステータスMAX、全コンテスト優勝の化物みたいな鷹になっていてめちゃくちゃ父親を尊敬したこともある。
 今思うとあれなんだったんだろう。でもなんとなく父親はすごいなあと思うときにふとこのゲームのこともよぎるので相当感動したし尊敬したんだと思う。パパタカ、目付きの鋭いかっこいい鷹だった。
 ポケモン金銀が出たのもそこくらいだったっけ。新しいポケモン、すごかった。時間の概念が生まれ、夜と昼に分けられたのに当時は震えるほどに感動した。わたしはヒノアラシを選んだ。最終進化はかっこよかった。金銀では特にホーホーが好きで、ホーホーのままでレベル90くらいになるまで連れ回しでんどういりさせた。
 ポケモン金銀は発売日になんとなく父親が車でトイザらスに連れていってくれて買ってくれたのを覚えている。妹には金、わたしは銀だった。キキョウタウンのBGMは今でも最高だとおもう。あの始まりのところが大好きなのよね。
 あとゲームボーイカラーで忘れられないのはコロコロカービィである。これはゲームボーイを傾けるとカービィが転がるという画期的なゲームだった。そうしてものすごく難易度が高かった……。
 ゲームボーイを覗きこみ、体を一緒に動かし頑張ってやった。ソフトがスケルトンピンクでかわいかった。
 勿論ゲームボーイのソフトも遊べる。カービィ2でカービィが色付いたのが嬉しかった。その頃にようやく虹のしずくをコンプリートし、ラスボスに挑めるようになった。
 2のダークマター、かっこよくてBGMが超いいんすよ。
 ちなみに2はクラウディパーク、ダークキャッスル、VSダークマターがすきなBGMだ。クラウディパークもダークキャッスルもちゃんとイントロからな。イントロが大事なのです。
 ゲームボーイ、ものすごくたくさんお世話になりました。

 ゲームボーイカラーと同じあたり。
 あまりにわたしがゲームにどはまりし、口を開けばカービィカービィカービィだったのを見たのであろう。ある日祖母の家に泊まりに行き、帰ってくると父親が突然奥の部屋からおもむろに箱を持ってきた。
 あれほど嬉しかったことはない。
 
 スーパーファミコン!!!だ!!!!!!

 飛び上がって喜ぶわたしに、今日は遅いから明日やれと父親が言ったのを覚えている。即ベッドに入ったわたしは興奮で眠れなかった。
 スーパーファミコン!ソフトは勿論カービィSDX!あの日見た憧れのゲームがついにうちにきた!!
 
 そんなわけで(?)カービィはわたしを楽しいゲームの世界に連れていってくれたげんふうけいなのである。わたしのゲームの最初にはカービィが寄り添ってくれた。
 小学生のころの自分の絵はほぼ全てカービィで構成されていた。六年生くらいになると皆キャラクターものはあまり見なくなるけれど、わたしは変わらずにカービィが大好きだ。今でも。すごく。
 あのときカービィSDXに出会わなくても、オタクの道を突っ走っていたわたしは多分そのうちどこかでゲームと出会ってゲームをしていたとおもうけれど、げんふうけいになってくれたゲームがカービィで良かったなあと心の底から思っている。
 
 スーパーファミコンの話もそのうち。